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特集オットー・クレンペラー

オットー・クレンペラー レコード・ライブラリー
オットー・クレンペラー

 戦中・戦後と不遇を極めていた指揮者のオットー・クレンペラー(1885-1973)が、ロンドンのフィルハーモニア管弦楽団を初めて指揮したのは1951年のことでした。
 翌年、EMIとレコード契約を交わし、1954年からスタジオ録音が開始されました。このとき、クレンペラーは69歳。契約を実現させたのはEMIのプロデューサー、ウォルター・レッグでしたが、レッグは当初、クレンペラーではなく、ヤッシャ・ホーレンシュタインをフィルハーモニア管に招きたいと考えていたそうです。
 クレンペラーとフィルハーモニア管の録音は、1954年10月、モーツァルトの交響曲第41番「ジュピター」からスタートしました。最後のスタジオ録音は1971年9月で、奇しくも再びモーツァルトが演奏されました。曲はセレナードの第11番です。クレンペラーとフィルハーモニア管の録音は、モーツァルトに始まり、モーツァルトで終わったのです。
 クレンペラーのレパートリーは、独墺系の主要作曲家をほぼ網羅しています。J.S.バッハ、ヘンデル、ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト、メンデルスゾーン、シューマン、ワーグナー、ブルックナー、ブラームス、マーラー、R.シュトラウス。そこに、ベルリオーズ、フランク、チャイコフスキー、ドヴォルザークといった周辺国の作曲家の交響曲が加わります。
 こうした作品をクレンペラーは“不変の哲理”でもって指揮しました。“押し切った”と言ってもいいでしょう。それらは総じて「遅く、重く、暗い」演奏ですが、子細に聴くと、楽曲の構造・骨格が明確に浮かび上がり、全ての音にアクセスできる、そんな演奏でした。特に、スピーカーのセンターに現れる木管楽器群の鮮明さは、ちょっと異様なくらいです。
 以下では、クレンペラー自身の主要レパートリーに関する「発言」を引用しながら(必要に応じて、筆者の私見も交えつつ)、「ドイツの偉大で豊かな伝統の最後の相続人」(ブーレーズ)の遺産を俯瞰したいと思います。

●J.S.バッハ
 クレンペラーにとってJ.S.バッハは、際立って重要な作曲家でした。それは残された発言からもうかがい知ることができます。
「バッハの作品は、何世代もの間演奏されませんでしたが、再評価されてからは、既存の全ての作曲家たちの作品が彼の偉大さゆえに埋もれてしまいました。この地球が滅びるまで、バッハは音楽の財産であり続けるでしょう」
 クレンペラーのバッハ演奏のなかでも傑出した評価を得ているのが《ロ短調ミサ曲》です。
「私にとってバッハの《ロ短調ミサ曲》は、これまで書かれた中で最も偉大で比類のない音楽である」
 クレンペラーは「自分の録音を聴くのは好きではない」と言います。しかし――
「ただひとつだけ例外があって《ロ短調ミサ曲》のキリエはくりかえし聴いています。この曲は大好きなので、自分の録音を聴くのでも楽しんでいます」(ピーター・ヘイワース編『クレンペラーとの対話』)
 恣意的な解釈・演奏を嫌うクレンペラーの姿勢は、バッハにも透徹されています。
「バッハはどう解釈されるべきか尋ねられたとすれば、こう応えるだろう。『できるかぎり単純に』と。簡素な解釈こそ常に最上のものだ」
・管弦楽組曲(全曲) ※1954年(モノラル)録音と1969年(ステレオ)録音あり
・ブランデンブルク協奏曲(全曲)
・ミサ曲 ロ短調
・マタイ受難曲

●ヘンデル
 クレンペラーがレコーディングしたヘンデルと言えば、何はさておき《メサイア》です。これは例によってスケールの大きな演奏であり、今もって同曲を録音する指揮者に対し巨大な壁となっています。
・オラトリオ《メサイア》

●ハイドン
 1960年代を中心に、クレンペラーはハイドンの後期交響曲を断続的に録音しており、それらはいずれも恰幅のいい名演となっています。
・交響曲第88、92、95、98、100、101、102、104番

●モーツァルト
 クレンペラーは、自身のパーソナリティとは裏腹に、モーツァルトの音楽を愛していました。彼の発言を拾っていくと、モーツァルトに向けられた眼差しは、非常に深いものであることが分かります。
「モーツァルトのテーマにはしばしば死や暗闇が取り上げられている。彼は単なる快活な天才ではなく、それ以上のものなのだ」
「彼は三十六歳という若さで死んだ。その短い生涯において、安らぐ時間はほとんどなかったと言えよう。彼の開いた演奏会は、フランスでもドイツでも経済的にはほとんど成功せず、常に貧乏であった。綺麗な衣服を欲しがったが、金がない。彼はコンスタンツェ・ヴェーバーを愛し妻としたが、彼女は一緒に暮らす夫の真の価値を理解していなかった。モーツァルトは貧困のうちに死んだのだ」

 クレンペラーはモーツァルトの“四大オペラ”を全て録音しました。それらは非常にテンポの遅い、極めて個性的な演奏であり、収録から半世紀近くが経った今でも、異端視する向きと熱烈な支持とが伯仲する“問題作”です。
「(ある劇場での歌劇《コシ・ファン・トゥッテ》の初演に際し)なぜこの作品はこんなに美しいところを持っているのに、ここでは今まで聴くことがなかったのか、と。その原因はこの作品が持つ途方もない難しさである。この作品はその純化され洗練された精神性によって、モーツァルトの創作の中でも全く特別の地位を占めているのだ」
「モーツァルトの《魔笛》は想像を絶するほど壮大な作品である」「《魔笛》の録音は劇中の台詞を含めないのが正しいと確信しています。不滅の音楽がこの作品に意味を与えているのであって、レコードでは台詞は余計なものになります」
「《ドン・ジョヴァンニ》はオペラの中のオペラである。これはモーツァルトのオペラのみならず、彼の全作品中の頂点である」

・交響曲第25、29、31、33、34、35、36、38、39、40、41番
・セレナード第6、11、12、13番
・ピアノ協奏曲第25番 ※ピアノ:ダニエル・バレンボイム
・ホルン協奏曲(全曲) ※ホルン:アラン・シヴィル
・歌劇《フィガロの結婚》
・歌劇《ドン・ジョヴァンニ》
・歌劇《コシ・ファン・トゥッテ》
・歌劇《魔笛》

●ベートーヴェン
 クレンペラーのベートーヴェンに対する揺るぎない敬意は、彼のレコードとして見事に結実しました。今日、数多の交響曲全集を見ても、フィルハーモニア管の合奏力、ナチュラルなEMI録音、そして何よりも骨太で微動だにしない解釈・指揮という点において、クレンペラーのベートーヴェン全集に比肩するものはない、というのが筆者の考えです。
 ベートーヴェンの没後100年にあたる1927年、クレンペラーは彼らしい発言を残しています。
「ベートーヴェンについては何を言うことがありましょう。彼は天才です。(中略)もしあなたが、ベートーヴェンの没後百年に何をすればいちばんよいかと尋ねたら、こう答えるでしょう。彼の音楽を一年間演奏しないことだ、と」
 《第九》《ミサ・ソレムニス》といった声楽を含む大曲や歌劇《フィデリオ》は、クレンペラーの独壇場といっても過言ではないでしょう。
「何が言えるというのです。《第九》について話すなんて畏れ多いことでしょう。曲を聴かなければなりません。ベートーヴェンは、自分が言うべきことを全て音楽の中に込めています」
「《フィデリオ》は、ベートーヴェンが生んだ唯一のオペラであるだけでなく比類のないオペラである。モーツァルトの《後宮からの誘拐》と《魔笛》の後に続くべきものである」

・交響曲(全曲)
・ピアノ協奏曲(全曲)
・ヴァイオリン協奏曲 ※ヴァイオリン:ユーディ・メニューイン
・ミサ・ソレムニス
・歌劇《フィデリオ》

クレンペラーレコード

●シューベルト
 シューベルトでは、網羅的な録音は行なわれませんでした。しかし、《未完成》などは、晩年、ウィーン・フィルやバイエルン放響とも演奏しており、愛着のある曲だったと思われます。
・交響曲第5、8、9番

●メンデルスゾーン
 クレンペラーの《スコットランド》や《真夏の夜の夢》が、古今東西を通じて、同曲の屈指の名演であることは、衆目の一致するところでしょう。クレンペラーはメンデルスゾーンを十八番にしていました。
・交響曲第3、4番 ※交響曲第3番《スコットランド》は入手難
・劇音楽《真夏の夜の夢》 ※入手難

●シューマン
 シューマンは、1960年の交響曲第4番とピアノ協奏曲を皮切りに、《春》、第2番、《ライン》の順で収録されました。なかでも交響曲第4番は、クレンペラーには珍しく早めのテンポを採用し、推進力に富んだ力演に仕上がっています。
・交響曲(全曲)
・ピアノ協奏曲 ※ピアノ:アニー・フィッシャー。入手難

●ワーグナー
 「クレンペラーが指揮するワーグナーをもっと聴きたかった」というのは、ワグネリアンの叶わぬ願いです。いやむしろ、《オランダ人》と《ワルキューレ》第1幕といった超弩級のレコードが残されたことを幸甚とするべきなのかもしれません。なお、《オランダ人》においてクレンペラーは、最後に出てくる「救済のモティーフ」をカットした「ドレスデン版」を採用しています。
「ワーグナーの力強い音楽的天才を否定するのは笑うべきスノビズムです。彼がオペラを変革するために用いた台本は、今日の私たちにはあまりに誇張したものに思われますし、長すぎるそのオペラをカットなしに我慢するのは容易なことではありません。それでも音楽家ワーグナーは天才であり、その意義はなんら揺らぐことはありません」
・歌劇《さまよえるオランダ人》(全曲)
・楽劇《ワルキューレ》第1幕
・ワーグナー管弦楽曲集(ジークフリート牧歌、ほか)

●ブルックナー
 クレンペラーの遺産のなかで“名と実”が一致していないのがブルックナーではないでしょうか。冷静に考えて、インテンポな演奏を先天的に要求するブルックナーのシンフォニーに、クレンペラーのスタイルが合わないはずはないのです。特に第5、6、7番などで聴かれる峻厳な響きは、チェリビダッケやヴァントを愛聴している方にも、ぜひ聴いていただきたいです。なお、クレンペラーが第8番に施した冷徹な処置に関しては、下記のコメントを参照してください。
「ブルックナーの第八交響曲の終楽章ではカットを行った。作曲者はここで音楽のアイデアを盛り込み過ぎたように思えたからだ」
・交響曲第4、5、6、7、8、9番 ※交響曲5、7番は入手難

●ブラームス
 ブラームスのシンフォニーの録音は、クレンペラーとフィルハーモニア管がかなり早い時期に取り組んだため(1956、57年)、一つの幸運に恵まれました(ある意味、「不幸」と言うべきかもしれませんが……)。それは、ホルンのトップをあのデニス・ブレイン(1921-57)が吹いているということです。この点だけをとっても、一連の演奏は敬聴に値すると言えましょう。
・交響曲(全曲)
・ヴァイオリン協奏曲 ※ヴァイオリン:ダヴィット・オイストラフ、管弦楽:フランス国立放送管弦楽団。入手難
・アルト・ラプソディ
・ドイツ・レクイエム

●マーラー
 クレンペラーは、マーラーの愛弟子でした。マーラーから多くのことを学び、マーラー音楽の“布教”にも従事しました。
「彼の音楽は存続するだろうか。誰もその答えはわからない。だが、私は第二、第九交響曲と歌曲は残るのではないかと思う」
「(今後もマーラーの音楽を)あらゆる機会をとらえて演奏していきます」

 こうして残されたレコードがどれも各曲のファースト・チョイスであることは言を俟たないでしょう。
「(《復活》について)この曲はマーラーの交響曲の中でも最も葬儀に相応しいものです」
「《大地の歌》の終楽章は〈告別〉と名づけられていますが、それは彼自身の生への告別であり、内容はとても衝撃的なものです。最後には次のような言葉が響きます――『私は行って山の中を彷徨う。孤独を慰めるために』」
「(交響曲第9番について)これはマーラーが完成した最後の交響曲である。私はこの曲を彼の究極の、また最も偉大な業績であると思う」

 ただ、1枚だけ注意を要するレコードがあります。交響曲第7番です。
「(交響曲第7番について)私には今でもなお、最初と最後の部分は非常に問題があると思われるのだが、三つの中間楽章はその簡潔さによって魅力的なものになっている」
 (以下は、完全な「私見」としてお聞きいただきたいのですが……)同曲を“音楽的に”愛する人は、クレンペラーのレコードを聴くべきでないかもしれません。なぜなら、あまりに独自過ぎて、完全に楽曲のオリジナリティを超越(破壊?)しているからです。特に、クレンペラー自身、「非常に問題がある」と言っている両端の楽章においてその傾向が著しく、最終楽章に至っては、冒頭の「ダンダダダンダン」というティンパニのリズムからして、「異常」としか感じられないのではないでしょうか。しかし、そうであるがゆえに(全く逆説的な言い方ですが……)この演奏こそは、クレンペラーという長大な峰々のなかでも突出した高峰であり、これを抜きにクレンペラーを語ることはできない、と確信するのです。
・交響曲第2、4、7、9番、《大地の歌》 ※交響曲第7番は入手難

●R.シュトラウス
 マーラーに師事していた(そしてユダヤ人であった)クレンペラーにとって、人間R.シュトラウスは純粋なシンパシーを抱き得る人物ではなかったのかもしれません。しかし残された演奏は、クレンペラーの哲理が貫かれた秀演ばかりです。
「一九三二年頃、彼をガルミッシュに訪れたことがある。次のシーズンに《英雄の生涯》と《ばらの騎士》を指揮しなければならなかったので、いくつか難しい箇所について助言を求めるためであった。しかし彼はそれにはほとんど答えず、自分が指揮する時も、そこがうまく行けば嬉しいと言っただけだった」
・交響詩《死と変容》 ※入手難
・交響詩《ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら》
・交響詩《ドン・ファン》
・交響詩《メタモルフォーゼン》 ※入手難

●ベルリオーズ
 これは類を見ない《幻想》です。「唯我独尊」と言ってもいいでしょう。ミュンシュなどに代表される直情的な演奏の対極に位置しています。特に、スローモーション(「ストップモーション」と言うべきか?)を見るかのような「断頭台への行進」、それに続く「ワルプルギスの夜の夢」では、ただただ感嘆するしかない“音の絵巻”が繰り広げられます。
・幻想交響曲 ※入手難

●フランク
 「重厚」とはクレンペラーのためにある形容ですが、この「遅く、重く、暗い」フランクは、まさにクレンペラーの真骨頂と言えるでしょう。
・交響曲 ニ短調

●チャイコフスキー
 チャイコフスキーについては、賛否両論あるはずです。チャイコフスキーをチャイコフスキーたらしめている“センチメンタリズム”が、クレンペラーの芸風とは「水と油」のように感じられるからです。しかし、下記の発言からも分かるように、クレンペラーは確固たる信念をもってチャイコフスキーを指揮しており、どのレコードも一聴の価値があることに変わりはありません。
「私がチャイコフスキーを演奏するのは、それが良い音楽だからです。しかし、チャイコフスキーは指揮者のやりたい放題の犠牲になってきました。(中略)悪趣味は彼の音楽の中ではなく、それを演奏する人間の中にあるのです」
・交響曲第4、5、6番 ※入手難

●ドヴォルザーク
 ここでもまた独自の世界が構築されています。クレンペラーにとって「新天地アメリカ」など、どうでもよかったのかもしれません。異国情緒いっさいなし!  見渡す限り、高度に抽象化された交響世界が広がるばかりです。
・交響曲第9番 ※入手難

※クレンペラーの発言は、注記のない限り『クレンペラー 指揮者の本懐』(シュテファン・シュトンポア編)によります。

 以上、クレンペラーの主要なレコードを見てきましたが、「たった1枚、レコードを選ぶ」としたら、筆者は躊躇なく「マーラーの第7交響曲」を手に取るでしょう。物を書くとき「空前絶後」という言葉は一種の“禁句”ですが、この演奏に関しては「空前絶後」と評するしかありません。まさに「怪演」です。

 ベーレンプラッテのWebショッピングサイトでは、オットー・クレンペラーの「特集ページ」を設けています。皆さんも、ぜひ、クレンペラーの名盤の数々をご試聴いただけましたら幸いです。
(ベーレンプラッテ 藤田)

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